意味があれば気にしないですむ

虚構、創作あるいはフィクションに纏わる話

「ラ・ラ・ランド」とアカデミー賞の話

 

業界人ウケする映画というのがこの世の中には一定数存在する。今年、アカデミー賞最多六部門を受賞した「ラ・ラ・ランド」もそういった類いの作品の一つだろう。

この映画を観た人ならば、容易に想像できると思う。というのも、ハリウッドの第一線で活躍するような業界人というのは、少なくとも人生で一度は、この映画の登場人物たちと似たような葛藤を経験をしたはずだ。明日食べていけるのかどうかもわからない残酷な世界に身を投じ、夢に憧れ、酔い、迷い、嘆き、そういった苦悩の末、最終的に流れ着いた場所がハリウッドのスポットライトの下であり、今の彼らの地位なのだ。

彼らの心のうちには「この作品には賞を与えなくちゃいけない」といったある種の使命感のようなものが働いているはずだ。映画好きに好かれるタイプの映画、映画好きなら評価しなければいけないタイプの映画、なんてそのような表現が適切かもしれない。

 

 もちろん、それが駄目なんて言うつもりはない。「そうやってすぐ内輪ネタに走るから今の映画はくだらない」なんて、馬鹿丸出しの批判をするつもりもない。

 そもそもの話、アカデミー賞というのは、アメリカ映画芸術科学アカデミーという名前の業界団体が決定する賞、つまり、業界人が業界人のために作った業界人のための賞のことだ。したがって、業界人たちが評価する映画が入賞するというのは、至極当然のことで、その事実も知らずに「アカデミー賞も落ちぶれたな」なんて指摘するのは見当外れもいいところだ。

 また逆も然り。アカデミー賞を獲った=この映画は面白い、という方程式が必ずしも成り立つとは限らない。いくら映画好きに評価されたところで、その映画が万人ウケするかどうかは、やはり別の問題だ。そういう意味で、友人にオススメの映画を聞かれたとき、アカデミー賞受賞作品をチョイスするのは些か早計かもしれない。

 

 遠回しな説明になってしまった気がする。閑話休題。話を戻そう。

 この映画がアカデミー賞を獲れた理由は明白だ。ラ・ラ・ランドまさに映画好きのための映画だった。さらに言えば、他映画へのリスペクトもあるし、金はかかってるし、画も華やかだし、熱もあるし、おまけに夢までついてくる。

 至れり尽くせりとはまさにこのことだろう。しかし、だからこそ同時にそこが弱点になるとも思うのだ。要するに隙がない。隙がないからこそ、この作品は手放しに褒めてしまえる。

 

 超超超超当たり前のことだが、絶対的な評価なんてものは存在しない。絶対的な面白さというのも、この世のどこにもない。結局のところ、物語のテーマというのは個人の価値観や経験に根付くものだ。そこに気付かず、作品を手放しに褒めてしまうと、批評や感想というのは途端に面白くなくなる。そんな気がしてならないのだ。

 

 結果的に、負け惜しみみたいな感想になってしまったが、今回話した「隙」のような話は、作品を語る上でかなり重要な部分になると個人的には考えている。「隙」とは作品の弱点のようなものだ。結局のところ、この「隙」を含めて作品を許容できるかという論争が、その作品を本当の意味で受け入れられるかという問題に繋がってくるのだと思う。 

・・・・・・「ラ・ラ・ランド」本編の感想はまた今度。

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