意味があれば気にしないですむ

虚構、創作あるいはフィクションに纏わる話

「メアリと魔女の花」 職人として生きていく覚悟 

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 スタジオポノックの第一回長編作品。監督は元スタジオジブリ米林宏昌

 「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」などのジブリ作品をモチーフにしながら、スタジオポノックはそれらを越えた先にあるものを描こうと目指す。

 

スタジオジブリ宮崎駿という2つの魔法の言葉が、いつも僕の隣…というか、僕の中にずっとあって、そういう状況の中で今まで、いろいろなものを作ってきたんですけど、宮崎監督から学んだことを愛していて、好きだった。同時に、これを乗り越えていかなきゃいけないと常に考えて作っていきました。メアリは物語の中でエイッと花を放り投げる。僕も映画を作りながら、スタジオジブリというものを乗り越えていくような気持ちで描きました
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1852087.html

 

 スタジオポノックの所信表明。よほど性格が捻くれた人間でもない限り、そのように受け取るのが自然だろう。 


 「米林宏昌って誰?」「スタジオポノックって何?」「ジブリの後継?」外野からの質問に丁寧に応じるその姿は頼れるようでいてどこか奇妙だ。そもそも、手順が逆ではないかと思う。映画監督のパーソナリティなんてものが実在するなら、それは世に映画を出すことで次第に明らかになっていくはずだ。自己紹介のために映画を作る、というのはやはり本末転倒だ。

 


 しかし、そのような手順を踏まなければいけなかった理由も理解できる。日本のアニメ界を牽引してきた宮崎駿高畑勲、この二人の存在を無視して彼らが「自分たちのアニメーション」を作っていくことは困難だ。スタジオジブリという呪いについて、あるいは、米林監督自身の過去について一度ケジメをつけておかなくてはならない、今後の展開も予想した上でそのように判断したのだろう。

 

 あるいはもっとそれ以上に映画監督の根幹に関わること、つまり、子供向け長編アニメーションを作るというその覚悟を示したかったのかもしれない。

 

『長編アニメーション映画を作るのなら、覚悟を持ってやれ』と言われました
http://www.eigaland.com/topics/?p=35827

 

 米林監督は作品の相談するとき、宮崎駿にそのように言われたという。

 

子供達に何を観せるべきなのかというのは、スタジオジブリでもの凄く考えて作っていたもので。ある意味傷つけてしまうかもしれない、違う道へ誘ってしまうかもしれない、今の時代や観てくれる人たちのことを想像しながら作品を作っていかなければいけない、これが僕たちがやらなければいけない最大の覚悟だと思っています
http://www.eigaland.com/topics/?p=35827


 スタジオジブリの試練とでもいうべきなのか。なぜ宮崎駿ジブリの看板を頑なに手放さなかったのか、今ならその理由もなんとなくわかるような気がする。
 要するに、これは職人の世界だ。商業作品のように売れれば成功とはいかない。彼らの映画を支えているのは徹底したプロ意識であり、それが欠けた途端、映画それ自体の存在意義が失われてしまうのだろう。


 だからこそ、米林監督は「メアリと魔女の花」をスタジオノポックリの第一作目作品として選んだ。スタジオジブリを引き継ぎ、子供向け長編アニメーションを製作する彼らにとっては、今なにを作るかより、どこを目指すかということのほうが遥かに重要だったのだろう。


 魔法に頼らない生き方を選んだメアリは、スタジオポノックが想い描くまさに理想の姿だ。それまで面倒を見てもらった魔法学校に別れを告げ、彼らは本当に帰りたい場所へ戻っていく。しかしそこへ至るまでの道のりは生易しいものではない。今、彼らが跨がっているのは魔法の箒だ。その力は彼ら自身のものであると同時に、他者から譲り受けたものでもある。魔法の呪縛から逃れようにも魔法の力が要る。結局は魔法に頼るしかないのだ。

 

 しかし彼らは今、この世の誰よりも自らの置かれた状況を正確に理解している。どれだけ魔法を捨てたくても、今の彼らは魔法そのものを否定することはできない。自己否定の先に待っているのは映画監督としての破滅だ。最後の最後に自らの親父を刺し殺すような、そんな恥知らずな展開は誰も望んでいない。

 


 スタジオポノックには、魔法がもたらす奇跡と悲劇、そのどちらとも向き合って闘っていく覚悟がある。今のところそれは確かだ。
 果たして今後どのような展開が待っているのか、それは我々の目で見届けていくしかない。