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虚構、創作あるいはフィクションに纏わる話

ゲーム「うたわれるもの 二人の白皇」 偽装と継承の軌跡

 

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うたわれるもの 二人の白皇」を中心にしたシリーズ全体のレビュー。「うたわれるもの 偽りの仮面」「うたわれるもの 散りゆく者への子守唄」「うたわれるもの 二人の白皇」の計三作品のネタバレを含むので注意。

 

 本作において仮面の役割は大きく二つに分類できる。


 まず一つ目は「偽装」だ。かつて人は動物を狩るため仮面を作成していた。動物に扮することで狩猟を円滑に進めることができたのだ。動物以外にも、人は仮面によって他人に変装することがある。演劇で役者が登場人物を演じるために、あるいは、舞踏会で自分以外の何者かになりきるために人は仮面を求める。


 もう一つは「継承」だろう。仮面を身につけることで人は何かしらの役割を担う。この場合、仮面の譲渡はそっくりそのまま役割の継承を意味するのだ。これについては、何百年も続く宗教的儀式や通過儀礼を想像するとわかりやすい。伝統的行事というのは常に同じ顔ぶれが集まるわけではなく、その形式だけ受け継がれていくものだ。儀式では各役割の象徴として仮面が用いられることが少なくない。


 仮面には「偽装」と「継承」二つの性質がある。今回はこの点を踏まえた上で「うたわれるもの 二人の白皇」を中心にシリーズ全体を振り返っていく。

 

 

偽るもの

 

 前作「うたわれるもの 偽りの仮面」で、主人公ハクは亡きオシュトルの意思を継ぐため、その名を捨て戦乱の世に身を投じた。自らの立場を「偽装」して右近衛大将の役割を「継承」するのだった。
 そんな彼の前に立ち塞がるのはかつての盟友マロロだ。その記憶は敵将ライコウの手によって「偽装」されたもので、マロは捏造された記憶を真実だとして疑わない。復讐鬼として生まれ変わった親友の姿にハクは言葉を失う。


 マロに訪れた変化はいずれも、事実の「偽装」によって生じたものだといえる。記憶の捏造はもちろん、そもそも事の発端は偽の皇女を巡る争いだ。戦争の道具として利用された彼はその犠牲者の一人であることに間違いはない。
 そして、この事実の「偽装」は、マロ自身によって導き出された答えでもある。一度はオシュトルたちと合流できたにもかかわらず、ハクの死を聞かされた彼はその事実を受け入れられないまま、仲間たちの前から立ち去ってしまう。茫然自失となったマロは現実を「偽装」し、ついには幻覚に囚われるようになる。敵将はその隙を突き、彼を手中に収めたのだ。

 ハクの死の「偽装」がきっかけとなり、心の弱さによる現実の「偽装」が、さらなる悲劇を招いたのである。


 以上のように、本編を通じてマロは「偽装」に翻弄され続けていた。彼自身もまた、真実と異なる事実を信じてしまう心の弱さが目立つ、そんなキャラクターだったといえるだろう。


 主人公オシュトル(ハク)も「偽装」という修羅の道を選択する。右近衛大将という立場を利用して、エンナカムイの民草を戦場へと駆り立てたのだ。


 ハクとマロ、互いに「偽装」を積み重ねてきた彼らは共通するところも多い。ただ唯一異なるのは「偽装」によって生じた歪みと真摯に向き合ってきたか、ということだろう。
 ハクはそれまで大切に想っていてくれた仲間を裏切り、オシュトルの名を信じて疑わない大衆の気持ちを欺き続けた。「偽装」により生じた痛みと苦しみを、しかしながら彼は、拒絶することなく受け入れたのである。オシュトルの葛藤は、本編を通じて嫌と云うほどプレイヤーに伝わっていたはずだ。


 また、亡き盟友の役割を演じながらもハクは最後まで自らを失うことはなかった。これは心境の変化を否定しているわけではない。オシュトルとしての責務や使命が、ハクの精神的成長を促したというのは事実だ。しかし、その変化を受け入れたのも彼自身なのである。オシュトルや帝の意志を継ぎたいというその想いは、紛れもなく本心によるものだった。

 

 偽りを以て築かれたものは、より大きな歪みを生むかもしれない。しかし、偽りの中で生まれる真実もある。偽りを以て別の真実を築き上げることもできるはずだ。そして、それはまさしくフィクションの在り方そのものでもある。
 仮面に憑かれながらも己を見失うことなく初心を貫いた者。炎を操る術を身につけながらもその本質に気付かず大敗を喫した者。「二人の白皇」が描くのは「偽装」された光景を前に抗うキャラクターたちの姿だ。

 

屈するもの

 

 「二人の白皇」では魅力的なキャラクターが数多く登場する。敵将として活躍するライコウもその一人だ。知略のみで八柱将の地位に上り詰めたその実力は本物であり、ハクもその計略に何度も苦しめられることになる。
 オシュトル同様、ライコウもまた「偽装」によって自らの野望を実現しようとした。偽の皇女を用意した彼はヤマトの民だけではなく、かつて忠誠を誓っていたはずの帝まで裏切ったのである。戦乱の世に火を点けたのがオシュトルだとすれば、その火種を生み出したのは間違いなくライコウだ。


 ライコウの目的は創造主からの解放にあった。繁栄と衰退を繰り返す、本来の国として在るべき姿を取り戻すこと、すなわち真実を築き上げようとしたのである。「偽装」された歴史からの脱却、その絶対条件として彼は皇女アンジュの即位を否定した。帝亡き時代を「継承」するのは、帝自身が指名した皇女殿下ではなくヤマトの民でなくてはいけない、そのように考えたのだ。


 偽りを以て真実を築き上げる、その野心はおそらく本物だったのだろう。しかし、ライコウが最後に頼ったのは仮面の力だった。皮肉なことに帝の庇護下からの解放を望んだ彼はよりにもよって自らの最期を帝が生み出した力に任せてしまう。おそらく、本人としても本意ではなかったはずだ。直属の部下であるシチーリヤに対する情けがそれだけ深かったということか。
 「偽装」に失敗した者は「偽装」によって生じた歪みに呑まれていく。マロが偽の皇女に刺されて死亡したように、ライコウもまた、偽り時代の象徴である仮面によってその命を落としていくのだ。

 

持たざるもの


 帝の大願を果たすためヤマト総大将となったオシュトルは古代の遺跡が眠るトゥスクルへと足を運ぶ。以後、マスターキー(電車のつり革)の捜索と人類の後継を巡る争いが物語の本筋となっていく。


 物語終盤、ウォシスの正体が帝のクローンであることが発覚する。人類の遺産を引き継ぐことができないことを知った彼は深く絶望するのだった。それもそのはず、今の今まで自らが帝の後継者だと疑わず生きてきたのである。そんな彼の人生は、その全てが偽りを以て築かれたものだといえるだろう。「偽装」によって生じた歪みは、帝都全域を呑みこむ規模の災厄としてその後、出現することになる。


 ちなみに、ウォシスは「継承」にも失敗している。「継承」に必要なものは知識でも信念でもなく、それは「資格」である。「継承」は、ある特定の条件が揃っていれば難なくパスできるものだ。逆に「資格」がなければ、どれだけ才があっても「継承」は成立しない。ハクオロがマスターキーを「継承」したのも二人がその「資格」を有していたからである。ある特定の人物のみが仮面の力を「継承」できたのも「資格」の有無に起因している。オシュトルが右近衛大将としての役目をハクに「継承」したのも、指揮官としての才を見込んだからではない。この者ならば何とかしてくれる、そういった「資格」を優先したからに他ならない。


 また、この「資格」について、この特定の条件が不透明な場合、「運」という言葉に置き換えることができるだろう。神に愛されているか、それが「資格」の条件になる。
 ウォシスは知識でも信念でも、オシュトルに劣っていたわけではない。多少屈託していて高慢なところがあっても、帝の後継者でありたいというその想いは本物だったはずだ。彼がなぜ人類の遺産を「継承」できなかったのか、その理由は彼がクローンだったから、すなわち運命にそう仕組まれていたからという他にない。


 世の中にはどうにもならない課題が山ほどある。科学信仰は人々に神をも制御できるという驕りを植え付けた。運命さえも操作できるという考え方は、結局のところ人の思い込みに過ぎない。嘆いたところで無意味なものは無意味だ。むしろ問題は、理不尽にいかに克服するかということだろう。

 

   ウォシスに訪れた悲劇は運命の悪戯によるものだ。一度、自暴自棄に陥った彼は両親の想いに触れることで、その悲しみから立ち上がろうとする。配下のため両親のため再びやり直すことを誓うのだった。

   しかし、またしても運命が彼の邪魔をする。願いを託したその仮面は、所有者の願いを歪な形でしか叶えられない不完全なものだった。

 

 最終的にハクは「偽装」によって生じた歪みと対峙することになる。ウォシスは偽り時代の象徴である仮面を身につけ暴走し、その動乱を抑え込むため、ハクは仮面の力を最大限にまで引き出す。戦闘を終え、オシュトルとしての役目を務め上げた彼は「偽装」によって生じた歪み、その代価を支払わなければいけなかった。

 

 

引き継ぐもの

 

 オシュトルとしての役割を全うしたハクは、旅路を共にした仲間に最後の別れを告げる。その最期は過去作「散りゆく者への子守唄」のラストを模したものになっている。

 本来であればフィナーレといったところだが、それだけでは「うたわれるもの」は完結しない。

   ヒロインの一人クオンはハクを失った悲しみに耐えきれず、ウィツの力を解放しなかった自らを激しく責める。その結果、彼女は分身と呼ばれる邪神を発現してしまう。


 無論これは作中で繰り返し描かれた光景だ。「偽装」によって生じた歪みに彼女もまた呑まれたのである。その姿は、現実を直視できず仲間の前から姿を消しまった過去の彼女やマロのそれと重なる。


 また、このときのクオンの行動は、十年間「うたわれるもの」の続編を待ち続けたファンの気持ちを代弁するものでもあったはずだ。もし本当に心の底から、先立たれた者を笑顔で送り出すことができたのなら「うたわれるもの」の続編は生まれなかった。過去への未練と執着が本作を生み出したのだ。その事実を我々は否定できない。


 「偽装」によって生じた歪みと対峙していたのは、作品内の登場人物たちだけではない。「うたわれるもの」をプレイしたかつてのファンもそれと同じものに悩まされていた。完結したはずの作品の続編を望むこと、それは始まりと終わりの構造に支配される物語においては本来、許されないものだ。


 しかし「うたわれるもの」はそんなユーザーの望みを叶えて受け入れてくれる。続編を生み出すことによって「散りゆく者への子守唄」では実現できなかった、あの誰もが望む結末を新たに用意したのだ。そして、その立役者となったのが今作の主人公ハクである。

 

 どのジャンルにおいても続編というのは非常に厄介な立ち位置にある。一作目の完成度が高い作品は特にそうだろう。二作目以降を製作したところで、それは一作目に越えることはできないのではないか。その種の心配は必ずといっていいほどついて回る。


 うたわれるもの」の続編は「偽装」からのスタートだった。今作の主人公ハクは、ハクオロを知るユーザーにとって紛い物に過ぎない。体力が無く不真面目で怠け者の彼は、前作のハクオロには遠く及ばないだろう。しかしハクは「資格」を有していた。ゆえに、他キャラクターたちから「継承」することによってその後、大いに成長を遂げることができたのだ。近衛大将となり総大将となり空蝉となり、最終的には物語を統べる神へと昇華した。運命に縛られていたハクオロを解放したハクは、実質的にその存在を凌駕することになる。

 

 本作は「偽装」と「継承」の繰り返しによって「本物」へと至る物語である。長い旅路の果てに辿り着くその場所は、決して数少ない言葉で語れるものではないだろう。

 

 

 

 

 

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